こころの紋様 -ミニ説教-


生きた信仰あってこそ
感謝の心は湧き出ずる



 あるご婦人より「和尚様方のお説教ではいつでも『感謝しなさい』とか『ありがたいと思いなさい』と

言われているように感じてしまいますが、私は『有難い』とどうしても思えないのに、有難がったり、

感謝することは出来ません。それでも無理して感謝したり有難たがらねばならんのですか?」という

卒直な質問がありました。

もちろん、感謝の心がないのに無理に感謝したり、有りがたがるのは偽りだし、へつらいになるのだから、

いやいや感謝とか有り難がることは必要はないし、出来るはずは有りません。

腹の立つときは腹を立てればいいし、不愉快な時は怒れば

いいのです。

しかし本能のおもむくまま、感情のまんまに腹を立てたり怒ったり

不平を並べていては心の安定もなければ、人としての成長は

無いじゃありませんか。

ここに心の修行としての信仰があるのではないでしょうか?。

信仰によって大自然を含む神仏との触れ合いの中に心は豊かになり、自己の尊さを学ぶことが出来るのです。

神仏に触れ、心豊かなれば、自ずから有り難いと思う心も生れ、感謝の心も湧いてくるものなのです。

信仰とは神仏の示される教えを身につけ行うことです。

仏教では八万四千の法門と言われるほどに無量の教えがあります。

しかしその教えの目指すところは、簡単に言えば悪業を造らず、清浄心を身につけ、善行功徳を積んで

人が人として、正しく生き、人格向上にあります。

さらに自らが菩薩、仏(悟り)の世界至るための方法と手段とその理論とが説かれているに過ぎないのです。

つまり、人が仏の教えに従い、正しい生き方(八正道〔はっしょうどう〕)として示され、

@正見〔しょうけん〕=正しく見る、
            正しい見解

A正思〔しょうし〕=正しい考え、思考

B正語〔しょうご〕=正しい言葉 

C正業〔しょうごう〕=正しい行為、行い

D正命〔しょうみょう〕=正しい生活

E正精進〔しょうしょうじん〕=正しい努力

F正念〔しょうねん〕=正しい思念

G正定〔しょうじょう〕=正しい瞑想

の中から心身ともに清浄ならしめ、仏(さとり)の世界へ至るための道が仏道であり、その道を目指して

歩むことが信仰であり、その信仰していく日々の努力を精進と言います

確かに経典を学び理解することも大事なことですが、それ以上に、日頃の信心の中の祈りや、

拝みを通じて霊性は浄化され、仏の智慧を頂き、生きる指針をつかみ、そして守られ加護されている

ことを感得出来てこそ、生きた信仰と言えます。

 生きた信仰とは常にみ仏と共に有り、み仏の救いと悟りを頂く態勢にあるといえます。

神仏のご加護を頂けば当然、感謝の心もおのずから湧いて来るのではないでしょうか。



最後までお読み頂いてありがとう御座います。

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