こころの紋様 -ミニ説教-
 

春はどこから来る?〜
自然は悠然として
 
ここ福岡でも冬ともなれば、年に二、三度は積雪しています。

しかし、玄界の黒潮届く海岸に面するこの寺ではすぐにとけてしまいます。

その雪解けの隙間に早や蕗のトウが顔を出していました。

自然からの早春のたよりであり、春の珍味の贈り物だと、ちゃっかりと摘みとって食膳に

供しました。

寒の極まる大寒を過ぎてからは、三寒四温を繰り返しながらやはり春は着実に大地より

涌いてまいります。

「春はどこから来るかしら」との唱歌がありますが、

春はどこから来るのでもないと私は思います.

春の芽は冬に眠り木々にこもり、大地にひそんで

時を窺い時を得て顔を出すだけだと思います。

若菜、野草はひっそりと顔を出し、木の花、

草花は微笑み、艶やかに笑い、また歌いながら登場して

春を告げて参ります。

「春はどこから来るかしら」との唱歌がありますが、春はどこから来るのでもないと私は思います.

春の芽は冬に眠り木々にこもり、大地にひそんで時を窺い時を得て顔を出すだけだと思います。

若菜、野草はひっそりと顔を出し、木の花、草花は微笑み、艶やかに笑い、また歌いながら登場して

春を告げて参ります。

このようにして四季は移り、自然は怠ることなく、ちゃんと自然の恵みを与え続けてくれて来ています。

それなのに、人はよく「今年は寒いね、今年は異常だね」とか「雨が多いね、おかしいね」などと毎年、

毎年、自然現象の変化を愁へます。
なるほど、確かに、気候というのは毎年

全く同じと言うことはありません。

人間の歴史が始まって以来、人間は常に

自然に左右され続けてきました。

大雨に泣き、旱魃に憂え、地震や津波に

襲われて、そして飢饉に悩まされ続けてきました。

つまり、大昔より異常気象や異常現象は今日に

始まった事ではありませんでした。

したがって気象というのは昔も今もそしてこれからも様々な変化や現象を示し続けていく事でしょう。

それは地球は生きて活発に動く天体であることの証明でもあるのです。

人間の計らい及ばない予測、願望を超えて、自然は大きく動き生物を育み育て、あるいはまた、

いたぶり淘汰して自然のバランスを取ってきているのだと言えましょう。

それなのにどうして人は、自然は変だとか、おかしいと言うのでしょう。

私たち人間はあまりにも小さな、人間の物指しで自然を測ろうとしているように思えてなりません。

昔の人は素朴な信仰ながらもすべての現象を神のお計らいと受けとめ謙虚に処してきたものです。

自然を人間の小さな尺度や浅はかな知恵で測るより自然の中で自分が自然に測られていたほうが

より自然が見えてくるようです。

最後までお読み頂いてありがとう御座います。

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