犠牲によって人は輝く
縁というのは網の目のようだということが言われています。
網の目はひとつだけでは成り立たず、互いによりあって網目
ができるように、人間も、己れ一人だけの存在ははなく、様
々なご縁の結びつき、人々の絡まりあいの中に、生き、生か
されています。思えば、私という存在のためには、親をはじ
めとするいろんな人たちとのご縁があって、お世話になった
り、お陰を頂き、多くの犠牲を払って頂いて今日の私がある
のだというわけです。
私は多くの人の犠牲の上にあるということは、、私も逆に
人の犠牲になり、役立たねばならないと言う事ではないかと
おもいます。私たちが生きるということは、誰かが、誰かの、
ために、あるいは、社会のために、お互いに犠牲になり合う
事だと言えます。
犠牲という言葉は自分が損をするとか、自分が我慢をする
とかのように負担感を抱いたり、消極的で、あきらめの印象
がもたれがちです。しかし、犠牲というのは、そういう消極
的な意味でなく、自分というものを人のために、社会のため
に役立たせ、自分を生かす事でもあります。自分の能力、体
力、知恵、、時間などを提供し、積極的に使い、役立て、そ
して何より、自分自身が輝き出す行為でもあると思います。