承福寺の歴史



 安延山承福寺は釈迦如来を本尊とし文殊菩薩・普賢

菩薩を脇侍仏として奉る臨済宗大徳寺派一等地の寺です。 

はじめ当山は600年ほど前の応安年(1373)その当時の

禅界に重きをなした大応国師より三代目の法孫勅諡正続

太祖月庵宗光禅師を勧請開山とし、宗像社僧高橋助法橋

安延大徳の開創せるものであります。

観音堂(筑前西国二十番札所)


行基和上作と伝えられる
如意輪観世音菩薩

 その後文明2年(1470)宗像大宮司氏国の長臣であった占部

越前守平安延(1398〜1479)が主家及び亡子盛延の追福の為に

再興、次男の月潭中円和尚(1434〜1494)を開祖となし、安延山と

名づけられました。

 宗像大宮司家より寺領13町歩を拝領し、以来 宗像家庇護のもとに

栄えましたが79代目、氏貞公(1545〜1587)の没後、宗像家は

断絶の悲運にあい、当寺も衰徴しました。


黒田如水公画像

黒田長政公画像


のち黒田家が筑前の国を支配するようになり、如水公御廻郡の折当寺へ立ち寄られしとき、住職の田畑

耕せるをあわれまれ、先の国主(宗像家のこと)の菩提寺として旧来の田畑及び山林の拝領を受け、

これよりのち、黒田家代よりの知行にあずかり、檀信徒の心のよりどころとする承福寺になりました。

 しかし第二次大戦後の農地法によりて田畑を失い、再び貧寺に帰しましたが、檀信徒の厚志に支えられ

現在に至っています。


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